石間ヒデキ

石間ヒデキ

姓名: 石間ヒデキ 英文名:- 性别: 国籍:- 出生地:- 语言:- 生日:- 星座:- 身高:- 体重:-

姓名: 石間ヒデキ 英文名:- 性别: 国籍:- 出生地:- 语言:- 生日:- 星座:- 身高:- 体重:-

高校卒業後に本格的にギターを始め、札幌で「ジャローズ」というバンドを結成。その後上京し、1966年にGSグループ「ジ・アウトロウズ」(後にザ・ビーバーズと改名)を結成。1967年シングル「初恋の丘」でデビューしたが、1969年解散。
同年内田裕也に誘われ、ロックバンド「フラワーズ」にリード・ギタリストとして参加する。同バンドはメンバー・チェンジを経て「フラワー・トラベリン・バンド」(FTB)となり、翌年アルバム『anywhere』でデビュー。アルバムほぼ全曲の作曲を担当するなど、ボーカルのジョー山中とともに中心メンバーとして活躍した。1973年の解散後は、ソロアルバム『ONE DAY』(石間ヒデキ名義)の製作・杉田二郎とのコラボレーションなどを経て、1974年にチト河内・篠原信彦・後藤次利らとともにトランザムを結成。アルバム『トランザム』などを製作したが、翌年脱退。以後はソロのミュージシャンとして、ジョー山中などのアルバムに参加。
1980年、GS時代からの盟友・萩原健一と「ドンジュアンR&Rバンド」を結成。精力的なライヴ活動を行う一方、『DONJUAN』(80)、『デランジェ』(82)などのアルバムを製作。1984年には、神代辰巳監督の映画『戻り川』の音楽を担当。1986年には、沢田研二とバンド「CO-CoLO」を結成。88年までにアルバムを3枚製作し、ツアーも積極的に行った。
1995年ごろにインドに渡り、1998年インド・ビシュヌプール派最高峰のシタール奏者・パンディット・モニラグ・ナグと出会い、彼に師事。その後、シタールとギターを融合させたオリジナル楽器・シターラを開発し、シターラ・シタールによる本格的活動を開始。2000年には、篠原信彦とユニット「Pythagoras Party」を結成[1]。屋敷豪太などを共演者に迎え、アルバム『MORE-ish』をリリース[1]。2002年には深町純・堀越彰とユニット「NEO.JP」を結成、その後2007年にインストゥルメンタル・グループ「VIEW」を結成、現在もライブ活動を中心に精力的な活動を展開中。2008年、フラワー・トラベリン・バンドでのオリジナルメンバーによる再始動を発表した。